劇団茶好きの ティールーム♬

ちょっと一休み.したい時・・・お立ち寄りくださいませ☆彡(*^_^*).

辛い体験を伝承すること(。-.-。)

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銀杏(イチョウ)花言葉:「鎮魂」 「長寿」「しとやか」

読売新聞2015.8.9朝刊  編集手帳より引用

 顔に傷を負い、頭に包帯を巻いた母親と小さな男の子が、炊き出しの握り飯を手に茫然と立つ。二人がいるのは長崎の爆心地近くである。原爆をテーマに開催中の写真展で、よく知られる一枚を見た。写真家の山端庸介が軍の報道部員として長崎に入ったのは、原爆投下の翌日だった。そこに握り飯を持つ親子はいた。がれきに横たわる幼児の焼死体もあった。駅のホームで一緒に焼け死んだ親子もいた。投下前日の長崎を描いた小説に井上光晴の『明日』がある。終章で夜が明け、男児が誕生する。母になった女性がいう。〈私の子供は今日から生きる。産着の袖口から覗く握り拳がそう告げている〉。書かれていない次章に山端が撮った世界を当てはめると切ない。現実の長崎で握り飯を持っていた母親は24年前に亡くなった。「みじめで見たくない」と、写真には複雑な思いがあったという。あれから70年。いま実体験を語れる人の多くは子供の時に被爆している。大人と子供では記憶の残り方も微妙に違ったことだろう。体験を戦後世代が正確に伝承するのは難しい。それでも途絶のゆるされない作業である。

……………………………

 こんにちは。

原爆投下後の町並みの写真を見ると、一面焼け野原でここについさっきまで多くの人々の日常があったとは到底思えないほどです。見るのが辛く目を背けたくなります。

広島も然り、悲しい歴史を繰り返さないためにも、辛い記憶も伝え続けなければなりませんね。

私の母も東京の空襲を体験した人。

北海道の地元で、語れる数少ない語り部として時には小中学校の依頼を受け戦争体験を語ってきました。

でも、もう年齢的にも大変になっています。

数年前お亡くなりになったお客様の万里の長城での戦争体験談。

お話を聞いて、死と隣り合わせの生活が如何に辛いものだったか、そしてそんな中にでも、戦友たちとの友情や歌を歌い合うささやかな楽しみがあったことなど、生々しい真実と本音を私の次の世代にも伝えていかなければという責任を感じました。

 読売新聞では「戦後70年あの夏」と題して、多くの著名人が戦争体験を語っていますが、この日は美輪明宏さんでした。

【1945年8月9日の朝、長崎で被爆した美輪明宏さんは「 ピカッ……地獄に一変。 戦争の正体は理不尽で悲惨」と語る。
…中略…………
戦前は不条理な封建制度以外は良いところがありました。ゴーギャンもロートレックも魅惑された、世界に冠たる素晴らしい文化があったのです。平民宰相・原敬がとても良いことを言っています。資源のない日本で唯一誇れる資源は人材である、と。

それって文化でしょ?

日本が世界で生きていくためには、これを生かした平和産業しかありません。若い人には、精神的栄養失調に陥らないように、質の良い文化に触れていただきたいと切に願っています。】

読売新聞2015.8.9「戦後70年あの夏」歌手・俳優 美輪明宏さん  より一部引用

 戦争は全てのものを破壊します。

物ばかりではなく、人の心までも・・・。

でも、人が生きていくためには喜びや生きがいが必要。

文化は人を励ます、人を成長させてくれる。

お金や資源がなくとも、気持ちと知恵で創り出せるものに日本人が長けているのなら、若い人ばかりではなく私たちも質の良いものに触れ、日本人の素晴らしさを世界に広めていきたいものですね。

✿穏やかな一日を✿(*^_^*)