花を愛でて故郷を思う( ´-` ).。oO (✿
読売新聞2015.7.11 朝刊 編集手帳より引用
その花が日本文学に登場した最初だろう。〈抽斗(ひきだし)からラベンダー色の紙と封筒とを取り出し…〉。夏目漱石『明暗』(1916年)である◆厳密に言うと漱石は「べ」に代えて、「エ」に濁点をつけている。変則的な表記を用いてでも「ラベンダー色」と表現したかった気持ちは分かる。青、とは違う。
淡い紫、でも物足りない。花の名前を冠して呼ぶしかない独特の色彩は、花どきに北海道を旅した人はご存じだろう◆富田忠雄さんが83歳で亡くなった。国内随一のラベンダー農園、北海道中富良野町「ファーム富田」の会長さんである◆ラベンダーが輸入香料に押されて姿を消そうとしたとき、辛抱して栽培を続けた。富良野地方の花畑観光に道をひらいた功労者のお一人である。「ラベンダーに熱烈な恋をしていた」。かつて本紙の取材に語っている◆〈願わくは花の下にて春死なん〉と詠んだ西行は、愛する桜の咲く頃に入寂した。人は四季を選んで寿命を終えるわけではないが、その人らしい季節に逝く人がいる。"熱烈な恋"をした富田さんもそうだろう。富良野の丘がラベンダー色に染まる初夏である。
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こんにちは。
富良野と言えばラベンダー。
ラベンダーと言えば北海道富良野…というくらいに人々の心にも根付いて多くの人を北海道に呼び込んだ功労者、富田忠雄さんのご冥福をお祈り致します。
花はその美しい色合いや香りと共に、故郷を遠く離れた者に郷愁を感じさせ元気を与えてくれるものですね。
ファーム富田は、家族や友人との旅行でよく訪れました。
農園一面のラベンダー畑の中では、忙しく花々を飛び回る蜜蜂たちの喜びいっぱいの気持ちがよくわかり、私もワクワクと弾んで歩き回ったものでした。
花のじゅうたんの上をコロコロと転がりたいな〜♪ときっと誰もが一度は思うのではないでしょうか。
それほどに色鮮やかなラベンダー畑は人の心を癒し楽しませてくれますね。
私が最初にリフレクソロジーのお店を開業したのは神戸の自宅でした。
店名を考えたとき、「誰でもわかりやすく親しみの持てる名前」「私らしい名前」「この仕事に合っている名前」の全てに合致したのが『ラベンダー』でした。
フットバスやアロマオイルでラベンダー精油を使うこともあり、ちょうど良い名前でしたし、お客様から「なぜこの名前にしたの?」と聞かれる度に「故郷が北海道だからです」と答えると納得され、北海道の話から会話が広がり、北海道で育ったことに感謝しました。
ですから、ファーム富田には何度も訪れて、精油やドライフラワーなどの商品を購入しリフレッシュさせて頂きました。
私の仕事への情熱の炎を灯してくれるものがラベンダー精油だったのかもしれません。
私も富田さんのように、ラベンダーに熱烈な恋をしていたのかも。
そういう気持ちが一生懸命な自分となって、周りの人の心にも伝わっていったのかな。
ラベンダーにいつも助けられてきた気がします。
うちの父も富田さんと同じ83歳。
病院の前で満開になっているラベンダーの花に見守られるように、一命を取りとめて現在リハビリに専念しています。
そういえば、ファーム富田の花畑の真ん中で母と笑顔で写っている写真をこの前見つけて家の写真立てに飾ってきたばかりでした…。
父にはもう少し寿命が残っているのですね。
好きなことを思い残すことなくしてほしいなと思います。
そして、私もいつも何かに恋してその時々に出来ることをしていきたいな。
ラベンダーのアロマオイルに癒されながら…。
私も自分の終わりの時にはラベンダーの季節がいいなぁ。
ラベンダーに囲まれている顔はきっと笑顔なのだと思います。
何度も何度も言うけれど、北海道に生まれ育って本当に良かった‼︎(^o^)/*
どんなに離れていても、ラベンダーの花を見ると寂しくない!
今日も元気で頑張れる私がいます。(*^_^*)