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夢の正体とは・・・。(*^_^*)

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ブバルディア:花言葉「夢」「情熱」「空想」

読売新聞2015.4.18朝刊『  「ウ」の目鷹の目 』

「コツコツ」輝かせる夢   編集委員 鵜飼哲夫氏 より一部引用

 

テレビは夢を運ぶ箱であった。売れ行きが急増したのは、皇太子ご成婚パレードがテレビ中継された1959年(昭和34年)4月だった。この年6月には、巨人軍の長嶋茂雄が天覧試合で阪神のルーキー村山実からサヨナラホームランを放つ。新人の王貞治も大一番でかっ飛ばし、「ONアベック本塁打」の歴史もこの日始まった。大相撲に入門当時、体重が70キロを割るやせっぽちだった納谷幸喜が、しこ名を大鵬と改めたのも59年。「巨人・大鵬・卵焼き」の時代は、テレビの普及、経済の成長と歩みを同じくしていた。(中略)

今も、テレビは夢を運ぶが、ONや大鵬に並ぶ国民的ヒーローはなかなか出ない。夢は抱き続ければかなう、というけれど、それは一握り。そんな現実が身に染みる。

 春に始まったNHK朝の連続テレビ小説「まれ」の主人公・希は、夢ばかりを追う父に苦労し、「夢」が大嫌い、「地道にコツコツ」がモットーだ。その少女が、いつしか自分の「捨てられない夢」に気づく展開になるのだろうが、夢を手放しで礼賛する時代ではないのかもしれない。

 WOWOW連続ドラマの原作、綿矢りさ『夢を与える』も、「夢」を巡る今日的作品だ。チャイルドモデルから芸能界に進んだ少女が、あるスキャンダルから潰されてゆくー。少女の未来の再生までを描き、現代の「夢」とは何かを問いかける。

母親役の女優、菊地凛子さんは「誰かに夢を与えてもらうなんて、誰も求めていないんじゃないですか?夢は現実の中から自分でつかむもの。仮に夢破れても、私はどんな人生も取り返しがつかないことは絶対にないと信じ、そこに希望を見いだしたい」と答えた。その言葉に、生前の大鵬を思い出した。

(中略)

大鵬の相撲は『忍』と『耐』と『我慢』で完結した。夢は忍び続けた末に訪れるもの、それが土俵哲学であり、色紙に「夢」と書き始めたのは、横綱になって随分たってからだったという。

 「燃える男」長嶋も、舞台裏を見せないのがプロとしての信条で、一人になると「四番の座」を守るために、猛特訓に耐え抜いたと、その著『野球は人生そのものだ』で回想している。「野球の天才」というイメージと「隠れた部分の距離を置きすぎたかな」と、苦しむ時期があったというほど陰の努力家だった。

脳梗塞に倒れた大鵬も長嶋も猛烈なリハビリに励んだ。

時代は変わっても、彼らは不屈のヒーローなのだ。

 スターが輝いていた時代、それはどこかに夢があったわけではない。コツコツ猛烈に励んでいた日本人が「夢」という日本語を輝かせていた時代だったのだ。

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こんにちは。

子供の頃「大きくなったら何になりたいの?」と聞かれる度、言葉に詰まったものでした。

親に「お前は○○になったら向いているかも」とよく言われていたため、自分は大きくなったら父の言うものになるんだと漠然と思っていたからです。

それだからといって親を恨むのはお門違い。なりたいもの、やりたいことは自分の中から湧き出てくるもの。

たとえ家を継がなきゃならない環境であったとしても、他の職業の選択肢は誰にでもあるものです。今の時代は、ネットやテレビなどで珍しい職業を紹介するものもあり、恵まれていますね。

 NHKの連続テレビ小説「まれ」を毎朝楽しく観ています。

ケーキ作りが大好きで一度は勇気を出して「ロールケーキコンテスト」に応募したけれど敗れて諦め、市役所職員として地道にコツコツ人の夢を応援する仕事をしているヒロイン希(まれ)ちゃん。

そんな彼女に「夢を追うっていうのはあんたの好きな地道にコツコツするもんよ」という人の言葉は、「あんたもまた、人の応援ばかりでなく自分自身のために夢を追うことができる人なんだよ。どんなことでも一生懸命にするところに夢はあるものなのだよ」と語りかけているように感じました。

夢を追い続けては失敗を繰り返す父。

でも、それは家族を幸せにしたいという気持ちからもきている。

”まれ”のケーキは家族や周りの人達を幸せにしたい気持ちから作られている。

夢を追うって、自分が楽しいのももちろんだけど、誰かを幸せにしたい、喜ばせたいという気持ちがあって、ますます強い意志となるのかもしれませんね。

 前回のテレビ小説「マッサン」もまた、生涯をかけて壮大な夢を追い求め達成したお話でした。

何度も襲う挫折と敗北感の中にあって、自分ではどうすることもできない戦争という時代の流れ。外国人妻に対する世間の目にも負けず、家族を守りながらの本物のウィスキーへの憧れと執着心。

「日本人に本物のウィスキーをわかってもらう」ということは、自分自身が何かになるということよりもはるかに難しいことです。

人の偏見を取り除き気持ちを動かすということは並大抵のことではないからです。

それを成し遂げ「日本のウィスキーの父」となったマッサンの人生のほとんどが辛く困難な日々だったのではないかと思います。

でも当の本人はその苦しささえも感じる暇がなく、日々の変化と一歩ずつ前進している喜びを感じていたのだと思います。それは妻の信頼と支えがあったからこそ。

強い情熱と愛情は、その時代と人々の常識さえも変えることができるものなのですね。

 私はかつては事務職の会社員でしたが、40歳間近でなったリフレクソロジストというお仕事は、自分がやってみたいと初めて思った職業でした。

今思うと寝る間も惜しんでの勉強にも辛さを感じず、むしろ楽しくて仕方がない時間でした。

はたから見ると辛く苦しい練習や修行の日々でも、目標に向かっている時間はかけがえのないワクワクした時間でもあるのでしょうね。

そして、それを達成した時初めてそれが自分の夢であったと、大鵬のように思えるのでしょう。

野球の天才と言われた長嶋茂雄さんもやはり努力の人であったとは、言われてみれば当たり前でしょうが、なにか神がかった方だから意外でした。

裏方を見せないスターでありプロの姿勢は素晴らしいの一言ですね。

 人は何かを成し遂げたいという強い思いが溢れた時、発揮できる忍耐力、持久力、探求力を本来持っていて力を蓄えているものなのでしょう。

そのためには、普段は少しくらいいい加減で、欲望にかられていてもいいのではないかしら。

いつもいつも苦しいことばかりでは続きませんからね。

苦しさを感じないほど何かに取り憑かれたように夢中になれるもの。

「夢」〜見つけたいですね。

ありがとうございます。(*^_^*)