どんな生き物にも生き方がある
(ナミアゲハ)
こんにちは。
北海道から東京への飛行機の中で、ANA翼の王国という機内誌を読み思うところを書きました。
ANA翼の王国2
【生物学者 福岡伸一のフロリダ蝶紀行(後編)】より一部引用
『フロリダ自然史博物館にて
《チョウ好みの植物》
蝶の幼虫たちは決まった植物を食べて育つ。
幼虫たちは禁欲的なまでに自分の食べる植物を限定している。これは長い進化の過程で成立した、一種の棲み分け…限られた資源をめぐって無益な争いが起きないよう、できるだけ分散的に自分のニッチ(隙間・くぼみ)「生態的地位」を探し出した…、その結果である。
蓼食う虫も好き好きというが、まさにそのとおり、幼虫たちはそれぞれ変わった葉っぱを好む。
日本のチョウで言えば、ナミアゲハは柑橘系や山椒、キアゲハはパセリ、ジャコウアゲハはウマノスズクサ、アオスジアゲハはクスノキ、という具合になる。
雌のチョウは、敏感な嗅覚や味覚を頼りに正確に食草を探し当てる。そしてその葉っぱに見つからないようそっと卵を産みつける。………………
私たち昆虫少年はこのことをよく知っている。
だから、世界的に有名な絵本、エリック・カールの『はらぺこあおむし』に対してちょっとだけ言いたいことがある。
この美しい絵本では、お腹を空かせた食いしん坊のあおむしが、りんご、梨といった果物やお菓子などを手当たり次第に食べる。しまいには食べ過ぎてお腹が痛くなる。
でもなんとか無事サナギになって、最後には見事なチョウに変身する。
そのみずみずしい過程を見事に描いていることはもちろん認めるけど、ほんとうのあおむしは、そんなに無軌道に食い意地がはっていないよ、と。………… 』
(著 福岡伸一:1959年9月29日生~ 日本の生物学者。青山学院大学教授。専攻は分子生物学。農学博士)
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食い意地のはった私におっしゃっているようで・・・!ちょっとドキっとして恥ずかしくなりました(笑)(^_^;)エヘヘ・・・
蝶の色鮮やかな美しさには本当に魅了されますね。
どの位の種類がいるのかわかりませんが、アマゾンの奥地にはまだまだ発見されていない美しい蝶がいるのでしょうね。
私は本来虫が苦手なんですが、息子が幼い時にカブトムシを飼ったことがあります。
少しブラウンがかった小さめのカブトムシを「イイカブト」と息子が名付けて可愛がり、旅行の時には飛行機に乗せて連れて行きましたが、弱って死んでしまい二人で泣いたことを覚えています。
二度目は神戸でした。
マンション1階の避難用の小さなお庭でガーデニングをして、カーネーション、クリスマスローズなどの花々やレモンバーム、山椒、ローズマリーなどのハーブ類を育てていました。
そこではチョウが山椒などに卵を産みつけに来るものですから、毎日が戦いでした。
ある時ふっと見ると、あれほど虫退治をしていたはずなのに、逃れて育った丸々とした「いもむし」を発見!!
「うわー!大きないもむし!」Σ(゚д゚;)
と叫んだ私を、いもむしが横向きにピッと見上げたのです。
その顔はニコちゃんスマイルのようで、その頃悩みのあった私には、いもむしが笑顔で
「こんにちは♪」( ´ ▽ ` )ノ
と言っているように思えました。
…あんなに駆除したはずなのに生きているなんて、この子は蝶になる子なんだな…
そう思って、「キャタピー」と名付けて毎朝挨拶し、山椒の葉を存分に食べさせてあげました。
色々と話しかけたりすると静かに聴いてくれて、やっぱりにこやかな顔を向けてくれ私の心は静まるのでした。
でも、山椒の葉も残り少なになり、このはげた木にいては鳥などの外敵に食べられてしまうと思い、まわりの木の葉を食べさせようとしたのですが絶対に食べないんです。
そうこうしているうちに山椒の葉がなくなり、ある朝見に行ってみたら居なくなっていました。
たとえ昆虫でも飼っていると愛情が湧くものですね。
本当に悲しくて、一生懸命にあたりを探したのですが、何処にもいませんでした。
もしかして鳥に連れ去られたのでしょうか?
そんなことは信じたくない!きっと違う好みの葉っぱを見つけてそちらへ引っ越したのかもしれないと自分に言い聞かせました。
そしてきっと綺麗な蝶に成長して大空を飛んでいったのだろうと信じていました。
そう思えたから希望を持って頑張ってこられました。
でも、福岡伸一さんのこの文章を読んで、愕然としました。
キャタピーはナミアゲハの子だったのですね。
そしてあのまわりにはもう山椒の木はありませんでした。
もしかしたらキャタピーは蝶に変身出来なかったかもしれません。
でも、それが宿命。
生き物が成長してその一生を無事終えるのはとても厳しく大変なことなのですね。
私たち人間はそのことをすっかり忘れてしまっているように思います。
生きて当たり前、命は先まで平穏無事に続いているものだと思っている。
いもむしの限定された食草。
そうすることで他の生き物と上手に棲み分けることができる。
本来生き物たちはそうし合わなければならないのに、人間がその生態系を壊してしまったため、森や林の生き物たちの食べ物がなくなり、人間の住処へ食べ物を求めざるを得ない状況になってきています。
実際、私の実家の北海道は熊やエゾシカが近年頻繁に里へ出てくるようになり、車と衝突するなどの事故が多発しています。
また、町ではここ数年黄色スズメバチが家の軒下や物置、庭の木に巣を作り問題になっています。
私の実家の物置内にも大きな黄色スズメバチの巣があり父が蜂に襲われて大変な目に遭いました。
森の草木が減ったばかりではなく、地球温暖化で雨が多くなったことも原因だそうです。
私たちは動物たちにとって侵略者であり破壊者でもあることを自覚し、もっと反省しなければならないのですね。
色々な食を楽しむことは生活が豊かになり良いことです。
ですが、必要以上に採らない。
森の生き物たちと分け合う気持ちが大切です。
分け合う、棲み分ける・・・。
その点においては私たち人間は他の生き物より劣っている、またはおごり高ぶり傍若無人になってしまったのでしょう。
どんな生き物にもそれぞれの生き方があり、尊いものなのだと思いました。
「虫けら」なんて馬鹿には出来ません。
虫にも虫の尊厳があるものなのですね。
「手のひらを太陽に」の歌詞を思い出し、福岡さんの文章と共に胸が熱くなる思いで飛行機を降りました。
♪[ぼくらはみんな生きている
ミミズだって オケラだって アメンボだって
みんなみんな生きているんだ
ともだちなんだ] ♫