「名言:そもそも、我々が人生の意味を問うてはいけません。」を読んで 2014.9.30
イカリソウ:花言葉「新たな人生」
r-m-hiroのブログ 【古今東西の名言】より
「名言:そもそも、我々が人生の意味を問うてはいけません。」
http://ameblo.jp/r-m-hiro/entry-11927633204.html (本文はこちらから)
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【弥恵子コメント】
おはようございます。
人それぞれに違った境遇や環境の中で、自分の生きている意味を考える時はきっと
現状に満足していなかったり、何かに迷っている時なのでしょうね。
今に満足している人は、「自分の人生とは…」なんてことを考える時間ももったいないと何かに打ち込んでいるのかもしれません。
フランクルは「人生はどんな状況でも意味がある」と説いていましたが、過酷な状況下に置かれている人には絶望の一文字しか頭になかったことでしょう。
「死をただ待ち受け入れるしか許されていない者の人生にも意味があるというのか」となじった者もいたことでしょう。
でも、そのような過酷な収容所内でも、人々は音楽を聴き空の夕焼けを見て美しいと心を震わせていたというのです。
たとえすべてを奪われたとしても、自然や芸術に触れる喜び・創造する喜びを持ち続ける人間としての尊厳は誰も奪うことはできない。
それこそが、人間の生きる意味であり生きた証なのではないかというのでしょう。
日本が平和で何でも手に入る時代となり、逆に無気力な人や自殺者が増えている昨今。
フランクルの「自分の運命を受け入れることで、生きがいを見出す力が湧いてくる。」という考えは、自分の境遇や運命を他人のせいにするなということ。
そしてそのために他人を巻き込んだり、傷つけることがあってはならないと思います。
自分には自分に与えられた人生があるのだから、いつも誠実でその毎日を大切にできない人はどんな人生であったとしても決して幸せであると感じられることはないのですね。
自分の生き方に責任をもっていれば、逆境に遭おうがそれを後々良い経験だったと思えるようになるのでしょう。
人生について考えてばかりいても時間の無駄。
自分で答えを出すためにも、「こういう人生を送りたい」と強く願い日々努力していく他ないのだと思います。
強く願い続けて必ず実現させる。
そうやって過ごしていきたいですね。
ありがとうございます。
☆今日も元気な一日を☆(*^_^*)