劇団茶好きの ティールーム♬

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オジギソウ:花言葉「デリケートな感性」「感じやすい心」「敏感」「失望」

読売新聞2015.5.13 朝刊 「編集手帳」より引用
 

開高建さんは旅先の南米ペルーで、「味の素」が「アジノトモ」の名称で売られているのを見た。アジノモトでは、「あちら(アジ)にオートバイ(モト)を止めるな(ノ)」の意味になるのだという◆鼎談集(ていだんしゅう)『書斎のポトフ』の中で、文芸評論家の向井敏さんから「まさか作り話ではなかろうな」と念を押され、「いや、金無垢の真実だ 」と語っている。モト(素)がトモ(友)でも、日本語として意味の通じるところがおもしろい◆開高さんの見聞を借りれば、「トモ、遠方より来たる」のご時世か、と心が揺れた◆味の素が主力商品「味の素」の国内生産を終了するという不確かな情報を耳にして、である。つまりは情報に踊ったわけだが、子どもの頃、ちゃぶ台を囲んで小さな瓶を手から手へ、家族で回したのを思い出した。風聞にも、ときに功徳がないでもない◆
〈筋子に味の素の雪きらきら降らせ…〉。羊羹や饅頭にも手放せなかった味の素の大好き人間、太宰治の短編「HUMAN  LOST」の一節である。懐かしい記憶の雪がきらきら光る遠い日の食卓を、瞼に浮かべた方もあったろう。
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こんにちは。

子供の頃、味の素は頭が良くなるなんて噂が流れたことがありました。

でも我が家では、味の素は化学調味料で体に悪いと聞かされていたため馴染みがありませんでした。

自分が調理をするようになってから、マヨネーズや鶏ガラスープ、Cook Do調味料などの味の素製品を使うようになりました。

編集手帳でも書かれているように、太宰治は無類の味の素好き。

檀一雄の『小説 太宰治』の中でも(太宰が)「僕がね、絶対、確信を持てるのは味の素だけなんだ」と言っている。

モノはアミノ酸ですから旨み成分を振りかければ何でも美味しく感じますよね。でも、作った人の身になってみると、目の前でかけられるとあまりいい気はしないかもしれません。

〈私は、筋子に味の素の雪きらきら降らせ、納豆に青のりと、からし、添えて在れば、他には何も不足なかった〉とは、実は「HUMAN  LOST」入院二十三日目の「妻をののしる文。」の中で書かれているものなのです。

太宰は東京武蔵野病院に「慢性パビナール(麻薬性鎮痛鎮咳剤)中毒症」で一ヶ月入院しました。

信じていた妻や友人の井伏鱒二に強制的に入院させられたと妄想してしまった結果の文ですから、幸せな食卓をイメージするような明るいエピソードではないのですね。

そんな、身近な人の愛情に確信を持てない太宰が、「味の素」を「絶対、確信を持てるもの」と言うのだから、なんだか可笑しいですね。いや、味の素の存在自体が食べ物を美味しくするためのものなのだから、絶対的なものであって当たり前のことなのか。

信じられるのは「味の素」だけ・・・なんてちょっと悲しいですね。

でも、あれだけの文章を書いた作家ですから、頭が良くなるというのは、あながち間違いではないのかも・・・。

太宰ばかりではなく、どんなものでも美味しくなる魔法の粉の虜となった人は多かったそうです。

タイにいた頃も、タイの屋台や料理店、お手伝いさんたちは味の素をたくさん使っていました。何にでも入れるので大瓶を買っているようでした。

同じマンションに味の素の方がいらっしゃいましたが、外国は宗教上の理由で豚肉や牛肉をとらないところもあるので、国によってコンソメ類に使用する肉類には非常に気を遣っているとおっしゃっていました。

それほど、世界中で味の素は愛されているのだなと感じたものです。

今の時代、食卓に置かれているのは何でしょうか。

味の素も置いてあるのかな。他はマヨネーズやケチャップ、ソースや醤油、ナンプラーや辛いハバネロソースなど、調味料が豊富になり、様々な多国籍料理も楽しめますね。

私が絶対的にうまいと確信しているものはやはり醤油と塩かな。

世の中の調味料がなくなっても醤油か塩があればなんとかなりますね。

どこの料理も好きですが、やはり和食は素晴らしい食文化だと思います。

そういう日本の良さも大切にしながら、大好きな人たちと色々な料理を楽しみ、会話術を磨いていきたいものですね。

旨みの効いた料理を頂くことで、話にもちょっとした旨みが加わるものなのかもしれませんよ。それが、自分の個性、強みとなっていくのかな。

ありがとうございます。(*^_^*)